神様に繋がる食べ物?パワフルな“氣”が宿る、お米のヒミツ

こんにちは。
essence編集部です。

 

秋も深まってくると、一気に旺盛になるのは
やはり食欲!

 

各地で収穫祭が行われ、美味しいものが

目白押しの秋は、サツマイモやかぼちゃ、

きのこと、大地のエネルギーに溢れた

食べ物が、私たちの食欲をそそります。

 

しかし、ここで忘れてはならないのは、

秋はお米の収穫時期でもあるということ。

 

今回は、そんなお米にまつわる大事な
お話です。

 

現在、鳥取県で里山づくりにも関わって

いらっしゃる桐村先生が、ご自身の日々

の暮らしの中から生まれる実感を丁寧に

綴ってくださいました。

 

お米には、生きとし生けるものに命を
与える働きがある

 

というその理由とは!?

 

お米から里山、お祭り、神社の意味へ

とつながる展開も必見です!

 

どうぞ最後までお楽しみください。

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著者プロフィール:
桐村里紗
医師


tenrai株式会社 代表取締役医師
臨床現場において、最新のバイオロジカル医療や常在細菌学などに基づいた予防医療、生活習慣病から終末期医療まで幅広く診療経験を積んだ後、人と地球を一体のシステムと捉えた「プラネタリーヘルス」を提唱し、執筆、講演、メディア発信を行う。人の意識OSのアップデートから人の病と地球課題の根本解決を目指し、現在は鳥取県に拠点を移し社会実装を行なっている。「プラネタリーヘルス」の理論と実践の書『腸と森の「土」を育てる〜微生物が育てる人と環境』(光文社新書)が話題。

新米の美味しい季節がやってきましたね。

私は今、鳥取県の里山地域にいますが、黄金の稲穂が風に揺れる風景は美しく、まさに“神の恵み”だと感じます。

現代に生きる私達は普段、食欲を満たすためだけにお米を食べているかも知れませんが、本来それは、生きとし生けるものに命を与える働きによるもの。

 

生命力のあるお米をいただくことで、私たちもエネルギーが湧いてきます。

ゲンキの「氣」は米から得られる

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そもそも、ゲンキという言葉は、かつて「元氣」と書かれていました。

 

氣の語源「气」は立ち登る雲の流れを、「米」は生命を養うもので、それらを合わせて「氣」となった、と言われています。

 

「米」は、その字体からも読み取れるように、八方に広がる形をしていますね。これはエネルギーが溢れ、四方八方に向かって放出されている姿を表しています。

 

氣という文字の中に米があるのは、それだけ、先人たちが米から力を得ていた証拠ですね。

 

さらに、米は稲からできますが、「いね」の語源は「いのちの根」と言われています。



今でこそ、多様な食の選択肢があり、米だけがエネルギー源ではなくなりましたが、昔はどれほど米が有難いエネルギー源だったことでしょう。

 

手つかずの自然が里山に発展!その中心にあった稲作

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狩猟採取時代、人は野生動物と同じように環境に合わせる形で生きてきました。

稲作の起源には諸説あり、縄文時代の後期に日本に稲作が伝わったという説の他に、大陸伝来ではなくそれ以前からすでに日本で稲作が行われていた等々、様々な見方があります。

 

いずれにしても、人は食べる食料を得るために自然環境に手を入れることになったわけですが、この稲を生産するという方法はとても効率的でした。それによって安定的に糖質をエネルギー源として確保しやすくなることで人口も増えていった、とされています。

 

稲作を行うということは、そこに集落を形成して定住するという意味でもあります。

 

そのようにして集落のコミュニティができ、やがて集落同士が集まって国家ができ、野生とは違う人の社会が形成され、人間社会の発展に繋がったわけです。

 

現代は、人が自然環境に手を入れることで環境破壊が起きています。その意味で、人は環境を破壊する元凶とも言えます。

 

しかし、本来の里山は違っていました。

 

古代の先人たちは、現代とは違って、自然の摂理を洞察しながら人々が適切に手を加えることを熟知していたのです。そこにはおそらく、「自然と対話する」という共生の姿があったことでしょう。

 

そうすることで、手つかずの自然(野生のままの姿)を超えた、より豊かな生態系が作り、それを里山という循環型のシステムとして維持していたのです。

 

そして、その中に、稲作と米の文化があったのでした。

“里山”という、高度な循環型システム

古来、人は水源を抱く豊かな奥山を禁足地として守り、自然と人の境界に社を設け、自然を信仰していました。

神社の周りにある「鎮守の杜」は、豊かな自然植生が守られていたのです。


炭や木材として人が使う木を植えて定期的に草を刈り、木を使うことによって日差しを入れ、風通しをよくすることで林の生態系はより豊かになりました。

 

そして、山に暮らすあらゆる生命を養う水を引きいれた田んぼに、米を作ります。

 

山の水、太陽、風などの自然現象によって育った豊穣の稲は、神の恵み。

 

その米を頂くことは、神の恵みを頂くこと。神から授かった稲、そしてそれが秋に実りの時を迎え収穫できたこと。そしてその米を醸して酒として感謝と共に神に捧げ、人もその恩恵に預かる。

 

このように自然からの頂き物、神からの授かり物に対して感謝の気持ちを表したものが、「祭り」です。

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現代でも、豊穣の恵みを祝う祭りには、米を食べ、酒を飲みます。それは、人が自然と共に生きてきた証でもあります。

このように人と自然が共生する知恵が、「里山」という高度な循環型のシステムを生みました。

神社という、素晴らしい装置

 

日本古来の神道は、こうした人の自然への洞察と日常の営みの中で生まれたものです。

 

さらに、日本人は衣服や道具などの全てに神を見出し、すべてのものに神が宿るという「八百万の神」を生み出しました。

 

日本は、「八百万の神」に象徴されるように、世界で最も多様な神様を祀る多神教の国。

 

そして、自然の摂理への畏敬の念と感謝という日本人の精神性から生み出された神々に謙虚になる姿勢を思い出すために、人の暮らしの中に「神社」という装置があります。

 

神社は決して、自分のエゴイスティックな願いを叶えるための場所ではありません。

 

神社にお参りをする時、私達はその儀礼の中で、森羅万象の中に生きている自分を思い出します。そして自然とありがたい気持ちになって、手を合わせたくなります。

 

この時、神様は自分と切り離された存在ではなく、自らも神の宿る社であると気づきます。

 

外側の神様にすがるのではなく、自らを拠りどころとして生きるとき、人は本来の力を発揮することができるようになります。

「お米を頂く」ことは、神様に繋がること!?

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神様の存在を思う時、私たちは神社に足を運びたくなるかもしれません。

 

しかし、実は神社という特別な場所に行くことがなくても、私たちは、日常生活の至るところで神様の存在を感じることができます。

 

たとえば「米を食べること」もその一つ。

エネルギーに満ちた氣、たった一粒にもパワーが宿るお米を頂くことで、常に神様のお働きを感じることができます。

 

米ができる過程で作用する多様な自然現象や多様な人の働きを思えば、誰に言われなくとも、とてもありがたい気持ちになり、「頂きます」と自然に手を合わせたくなります。


「頂きます」は、「お命頂戴いたします」を意味しています。

 

米粒一つ一つに宿る命のエネルギーが、自らの血肉になることが感じられるのではないでしょうか。

 

今年の新米を頂くとき、ただ食欲を満たすだけでなく、心静かに、じっくり味わってみるのも良いかもしれません。

――――

 

いかがでしたでしょうか。

 

現代人の食生活は欧米化の傾向もあり、

主食はお米ではなくパン派という方も

中にはいらっしゃるでしょう。

 

しかし、ゲンキの「氣」には「米」

という言葉が入っているように、
とくに日本人にとってのパワーの源は、


お米を食することにあり!

 

と言えそうです。

 

桐村先生もおっしゃるように、
稲作の歴史と日本文化には歴史的にも
深いつながりがあり、それらは分かち難く
結びついています。

 

お米を食べることは私たちに命の大切さ、

そして食べ物を育む大地の力やそこに

宿る神々の存在やエネルギーを

思い起こさせてくれるものです。

 

今日からぜひお米を食べる時には、
「いただきます」の言葉とともに!


自然の恵みや見えない力に感謝の思いを
馳せながら食事を楽しんでいきましょう。

 

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