「御田植祭」の歌と踊りが、あの伝統芸能に発展!?

こんにちは。
牧山香です。
初夏のこの時期、毎年日本では全国的に、お田植えが行われていますね。
そしてそれに伴い、田植えとともに古くから「御田植祭」が神事として行われてきた歴史があります。
とくに有名なのが、日本三大御田植祭と言われている、香取神宮(千葉県香取市)、伊雑宮(三重県志摩市)、住吉大社(大阪市)の御田植祭。
そしてこれらのお祭りは、五穀豊穣を願う意味があり、秋の豊作を予祝して、田植えの際には昔から、歌と踊りが奉納されてきました。
これがいわゆる田楽の起源で、それは猿楽と融合するかたちで、のちに日本が誇る伝統芸能であり、無形文化遺産の「能」の発展へとつながったと言われています。
このように考えると、稲作(コメ)は日本人の主食として欠かせないものであるばかりでなく、御田植祭というお祭り、さらには豊作祈念の予祝の神事として田楽が始まったことなども含めて、稲作がいかに日本の伝統的な文化や芸能の基盤をかたち作ってきたのか、ということが自ずと見えてくるのではないでしょうか。
「お米=お金」。食糧としてだけではなく、貴重な資産価値があった
しかし稲作から始まった国づくりの凄いところは、それだけにとどまりません。
なぜならそれはかつて、「お金」=貨幣としての意味をもっていたからです。
稲作の起源は中国の長江地域で、そこからアジア各地に伝わったと言われています。
そのため、昔から中国や朝鮮、東南アジアの地域でも米は大切な食糧の一つとして、貴重な資源とされてきました。
しかし、その中でも米が貨幣にまでになったのは、なんと日本だけなのです!
(そもそも、お米を貨幣にしようという発想自体も斬新。すごいことですよね)
その意味でも、日本とお米の結びつきは並々ならぬものがある、と言えるでしょう。
お米が貨幣としての意味をもっていたことを表す例は色々あります。
もっとも思い浮かべやすいところでいうと、たとえば徳川幕府が統治した江戸時代、米は年貢を納める手段として用いられてきたことが歴史にも見られます。
また「加賀百万石」と呼ばれるように、加賀藩(現石川県)は幕末に至るまで国内トップクラスの石高を誇り、米の生産性が高い地域として讃えられてきたという有名な話もありますね。
つまり、米は日々の生きる糧としての意味だけでなく、お金と同等の、いや、それ以上の価値があったのです。
それはたとえば...
・稲作をするために土地を開墾する必要があること
・水田をつくるための治水事業(公共事業)が生まれたこと
・農業に従事する人々と、管理する人がいること
・米の収穫までが万事うまくいくように、「お祭り」が行われてきたこと
・収穫した年貢(納税)システムが出来上がったこと
などが挙げられます。
そう。ご覧いただいてもお分かりのように、稲作というシステムが地域のコミュニティをつくり、そこに雇用が生まれ、各地に安定した社会基盤・経済基盤が出来上がることで、国家が形成されていったのです。もちろんそれは、政治権力とも結びついていました。
そして言うまでもなく、稲作の繁栄は皇室祭祀の中でもとりわけ重要な「大嘗祭」、つまり御代がわりのときの非常に重要な儀式として、継承されてきたのです。
“稲作システム”は超すごい!それを支えてきた、文化の力とは?

さて、今回このように真面目にお米と日本の関係について考えてみたことには、実は理由があります。
というのも今、刻一刻とめまぐるしく変わっていく社会情勢において、お金を含めたあらゆるモノやコトのあり方、そしてそれらの価値の裏づけとなるものは何なのか?という議論が活発になっているから。
そこでふと立ち止まってみた時、古来、稲作を中心として続いてきた社会基盤は本当によくできた、すごいシステムであると感動することが増えたからです。
もちろん物事には良い面ばかりではなく必ずその反面もあり、それはこの稲作型システムも例外ではありません。
閉鎖的で、空気を読みすぎるために自分の意見を言えない民族...
海外の人たちからは、時にそう揶揄されることもあります。
もちろんそこから生まれる弊害については改善し、アップデートしていく必要があると思いますが、それも別の角度から見ると良い面が隠れていることに、私たちは気づかなければなりません。
たとえば、「閉鎖的」は文化が成熟しやすい土壌をつくる。「空気を読みすぎる」は、自己中心的ではなくまわりを気遣い慮(おもんぱか)る、と読み換えることもできます。
ここに「和」を大切にする、一つの国民性の姿が浮かび上がってくるのではないでしょうか。
とはいえ、貨幣の機能としては米、土地という確かな裏づけがあり実体を伴っていたこと。さらにそれはいざという時に命をつなぐ食糧として、自分たちの身を守ってくれるものであったこと。
これはもう揺るぎない事実であり、これまで続いてきた日本型システムの誇るべき点だと言えるのではないでしょうか。
日本最古の歴史書と言われる『古事記』の中に登場する、「豊葦原の瑞穂の国」とはまさに、日本という大地が稲作によって栄えていく様子、豊かな国の理想郷の姿が描かれたものでした。
また、日本最古の歌集である『万葉集』に稲作に関する歌が多く見られるのも、決して偶然ではないでしょう。
そしてこうした神話や歌集に描かれた世界は、前述したように「御田植祭」の中でもとりわけ重要な、田楽で唱和される歌の中にあらわれる言霊の力によって予祝され、豊穣の秋を迎えるとそれが現実の姿となって立ち現れるという形で、願いが叶えられてきたのです。
言うまでもなく、“予祝”とは、言霊(ことだま)の力をもって現実を創造すること。
いわば、言葉の力を使ってそこに集う人々で「こうなりたい」未来を前もって祝福する、前祝いのお祭りです。
こうありたいという未来、こうなると嬉しいという未来を、あらかじめ言祝ぎ(ことほぎ)、未来像を確定することで、現実が成されるという古神道の叡智です。
だからこそ、予祝をする時につかう言葉は重要。
「〜をお願いします」、「〜になりますように」ではなく、「〜になりました。ありがとうございます!」というように、完了形で言葉を発するのです。
そしてそのことを文化として継承してきたのが、まさに日本「お祭り」なのです!
田植えの他にも、春のお花見、、夏の盆踊りと、様々な予祝のお祭りがあります。
今、社会はかつてない変革の時を迎えており、一人ひとりの意識がどのような状態にあるのか、またどんな行動を起こしていくのかが厳しく試されている時期でもあります。
とはいえ、こんな時こそ原点に立ち返って、予祝によって紡がれてきた日本文化、そしてその奥にある言霊の世界をしっかりとみつめながら、これからこうありたいという未来を力強く描いていきたいと感じています。
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いかがでしたでしょうか。
昔からこの時期になると何気なく見てい
たお田植えが、これほど日本にとって
重要な資産だったとは!
そして、この田植えの伝統行事が「能」
の起源になっていたり、かつての日本の
経済基盤となって貨幣として流通してい
たことを思うと、
稲作がもたらした文明、
さらに文化とともにこれだけ長く続いて
きた社会システムは、純粋にすごい!
と、感心せざるを得ません。
近頃のちょっとした田植えブームも、
日本魂が無意識が発動している証
かもしれませんね。
とはいえ、今は一世一代の大変革期。
このシステム自体も大きくアップデート
していく時期を迎えているのでしょう。
しかし、そのアップデートの鍵は、
お田植えや予祝といった歴史にこそ
あるのかもしれません。
なぜなら、ゼロから新しいもの・ことを
生み出すことができるのが、言霊の力だ
からです!
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