「捨てられない」を卒業する、たった一つの方法とは

ゴミ袋を持つ女性

こんにちは。
essence編集部です。

 

世界経済が大きく揺れ動いている中で、
これまで続いてきた大量生産と消費
という人々の行動にも地殻変動が
起こり、所有の概念やモノに対する
人々の意識にも今、大きな変化が
生まれています。

 

そうした中で、これまでのように、

 

「モノを増やす」思考から、
「いかにモノを減らすか」という方向に、

 

視点が切り替わってきている人たちも
多いのではないかと思います。

 

とはいえ、これまで大切にしてきた
モノや思い入れのあるモノはなかなか
手放すのが難しい、と感じることも
あるのでは。

 

そこで今回は、モノを手放す際の
心の態度や指標について、

 

編集部の牧山さんが
自身の体験をもとに語ってくれました。

 

ーーーーーーー

 

著者:
牧山香


datum house編集員。
20代の頃からノートに思っていることや、自分のやりたいことをつらつら書き留める習慣をスタート。途中、PCに書き起こす期間を経て、今年から心機一転、再び「紙に書く」を始める。そこから3ヶ月で、これまでにない大きな内的変化を経験する。「自分の中にすべての答えとギフトがある」と確信。人生の新たなライフステージに向かって、直感と好奇心をたよりに全力投球の日々。情熱の対象は言語と世界の音楽の探求、そして食べること。

一つひとつのモノと向き合う中で、見えてきたこと

shutterstock_1886468677社会情勢が大きく変化する中で自分の価値観も少しずつ変化している中で、今は部屋の中にあるモノ一つひとつと向き合いながら「何を残し、何を手放すべきか?」を見極めている最中です。

 

そんな中で、いくつかの片付け/断捨離の方法を見直していたのですが、とくにしっくりきたのが、片付けコンサルタント「こんまり」こと、近藤麻理恵さんのメソッドでした。

 

自分の持ち物をいったん外に全部出してみて、「ときめくか、ときめかないか?」で残す・手放すを決めていくというメソッドは一時期、世界的なブームとなりました。

 

残念ながら、「ときめき」を判断基準にすることが、当時の自分にはあまりピンとこなかったのですが、最近になって、この「ときめき」の感覚が、あることと結びついていたことに気づきました。

 

それは「今」現在、目の前にあるモノに対して自分の心が動くか?、魂の深い部分がスパークするかどうか?ということです。

 

つまり私はこれまで、「ときめき」に「今」という視点が抜け落ちていたのです。そのため、結局は処分せずにモノを残すという選択をしていたのでした。

 

たとえば、目の前に長年大切にしていたモノがあったとして、残すか手放すかの選択を迫られたとしましょう。そして、仮に今は使っていなかったとしても「私はもともと、こういうデザインの服や小物が好きだから」という理由で、手放せなかったとしたら...。

 

それは「今」ではなく、過去の延長線上で考えていることになります。

 

つまり「今」という時間軸からは微妙にズレた感覚で判断しているため、モノとの関係性においても、なんだかしっくりこない、どうしようもなく違和感を感じる、という感情が生まれてくるということです。

 

しかしよく考えてみたら、世の中の状況も自然も変化し続けているのだから、自分の趣味嗜好が変わらないと考えること自体に無理がありますよね。

 

「過去にこういうものが好きだった」というある種の執着を手放すことによって、「今」をより強く意識することができるようになった自分を発見しました。さらに「自分にとって“今”必要かどうか」という視点に切り替わったことで、気持ちもスッキリしました。

 

これまで曖昧だった線引きの基準がクリアになることで、次のステージ、次のステップに進むことができる。

 

そういう実感を得られたことも、自分にとっては大きな収穫でした。

時間軸がズレると、どこかしっくりこない

shutterstock_1361553746それからもう一つ、こんまりメソッドを通して気づいたことがありました。

 

それは、このメソッドでモノと向き合っていくプロセスの中に、古神道の教えの中に息づく八百万の神を思い慈しむ心、すべてのものを神と見立てるアニミズムの精神や自然を思う心がこの方法の中に立ち現れているのかもしれない、ということでした。

 

それは人間だけでなく「もの(モノ)にも等しく命が宿る」という考え方に通じるものです。

 

そのことを象徴するように、ベストセラーを記録した彼女の書籍の中には、人間とモノとを明確に区別するのではなく、モノにもまた人と同じように心があり命がある、だからこそ尊重して大切に丁寧に扱おう、という彼女自身のモノに対する向き合い方や価値観が現れた言葉が多く登場します。

 

モノを無機的な物質、単なるモノと見なすのではなく、そこには魂があり心が宿る、モノにも命があると考えることによって、

 

「今の自分にとって必要ないのだとしたら、モノが悲しむ。

モノの命を生かせていないのであれば、手放して、自然(宇宙)にお返ししよう」

 

という思いが、その根底にあるのかもしれないと。

 

だからこそ、手放す時は「これまで本当にありがとう」と、すでにお役目を終えたモノたち、「今」という時間軸から外れたモノたちを、手放すことができるのでしょう。

 

ただ、一つひとつのモノと向き合った上で「今の自分にとって必要ない」と感じた場合は捨てることになるので、アニミズム的な視点からは「命あるものを粗末に扱うことに繋がるのではないか?」という見方に繋がってしまうかもしれません。

 

「もったいないから残そう」、「まだ使えるから取っておこう」と考える方が、モノを大切にすることに繋がるのではないかという見方です。

 

しかし、ここでもやはり大事になってくるのは「今」という視点だと思います。

 

春夏秋冬、自然にもリズムがあり命にもサイクルがあるように、ものごとは絶えず移り変わっていくという摂理があります。

 

だからこそ、本当にモノの命を生かすとは、そうした物事の変化を受け入れながら役割を終えたものは潔く手放していく、「これまでありがとう」という感謝の気持ちをもって手放していくことが大事なのだろう、と感じました。

本当の意味で「モノを生かす」とは?

shutterstock_713040277これまで私たちが生きてきた社会では、大量生産や大量消費がよしとされ、多くのものを生み出したり所有したりすること自体に価値が置かれた時代が、長く続いてきました。

 

そして、そのような風潮が社会全体を覆っていたために「モノを物質」と心の中で切り離し、ぞんざいな態度で扱ってきてしまったのかもしれません。

 

しかし、今は社会全体の流れも大きく変わってきて「モノはモノ」と無機質に切り離すのではなく、モノが生まれる以前の思いや背景、またそれができるまでのプロセスやストーリーなどに注目する人たちも増えています。

 

そして、その思いや価値観に共鳴するからこそ、「これが欲しい」「大切にずっと手元に取っておきたい」という気持ちが生まれるのだと実感しています。

 

モノが生まれる背景には、「こういうものをつくって人を喜ばせたい」、「日常の一コマが豊かになるようなものを届けたい」という思いが元になっているはず。

 

そう考えると、モノができるためにはまず「思い」があって、そのエネルギーが言葉となり伝播していくからこそ、それはやがてカタチを帯びてモノになる、ということが見えてきます。

 

物事が創造され現実化していくプロセスにも、必ずはじめに人々の思い、そしてそれを投影する言葉が存在しています。

 

私は今はモノを手放している途上にありますが、これから出会っていくモノに対しては、その背景にある思いや言葉に耳を澄ませながら選び抜くことで、使えば使うほど愛着が湧いてきてずっと長く付き合えるような関係性を築いていけたらと思っています。

 

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いかがでしたでしょうか。

 

「モノを手放す」選択をすることは、
アニミズム的な視点から、ややもすると
そこに宿る命を大切にしていないと
感じられる部分もあるかもしれません。

 

また、思い入れがあるために、
「どうしても手放せない」という
気持ちが湧いてきて、なかなか先に
進めないということもあるでしょう。

 

しかし本当にフォーカスすべきは、

 

「今の自分にとって大事かどうか?」

 

ということ。

 

あくまでも「今」という時間軸の中で、
自分とモノの関係性を見極めていく
視点が大事なのだろう、
と感じました。

 

これは「中今」から絶えず新しい創造が
始まっているという、古神道の教えにも
通じるものがありそうですね。

 

モノを手放す時、それに対して
思い入れがあればあるほど、迷いが
生じるのは無理もありません。

 

しかしそんな時にはぜひ一度、
「今」という視点で、目の前のモノと
対話してみてください。



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