大事な時にこそ試される、神社参拝の姿勢とあり方
一年の半分の罪や穢れを祓う行事として、毎年6月30日ごろに全国各地の神社で行われている、夏越の大祓。
この時期になると、神社の境内に大きな茅の輪くぐりが設置されている光景を目にされる方も多いと思います。
茅の輪くぐりには、無病息災を祈り家内安全を祈る意味があるといわれているように、この時期に茅の輪をくぐることによって、知らず知らずのうちに身にまとってしまった罪や穢れを祓い清めて、健康で穏やかな毎日が送れますように、という願いを込めて多くの方が神社の参拝に訪れます。
きっと読者の皆さんの中にも、大祓の時期には必ず神社に参拝に行くことが、毎年の恒例行事になっているという方もいらっしゃるのではないかと思います。
そこで大事になってくるのが、どんな姿勢やあり方で、神社の参拝(大祓)にのぞむか?ということです。
一年の大事な節目に定期的に神社にお参りをすることは、それ自体がとても素晴らしいこと。
とはいえ、神社を参拝する意味、そして大祓のような節目の行事が行われることの意義を知っているか否かで、参拝にのぞむ姿勢や思い、さらにその後の展開も大きく変化するとしたらどうでしょう?
やはり、神社に参拝するときの正しいあり方や心がまえを、ぜひ知っておきたいと思いますよね。
昔からずっと受け継がれてきた行事だからこそ、何か大きな意味がある。
そう考えて、「大祓は一年の中でも大事な節目だから」、「昔から恒例で参拝している年中行事の一つだから」など、一年の中の一つの行事だからとなんとなく行うのではなく、明確な意志と目的をもって臨むことが大事になってきます。
参拝のあり方にも当てはまる、"神社のPDCAサイクル"とは
そもそも、神社を参拝するときのあり方について改めて考えるようになったのは、最近ふと目にした一文に、深く心を動かされたことがきっかけでした。
それは、「神社のPDCAサイクル」という言葉。
仕事の業務改善や目的達成までの道のりを表す方法としてよく知られている、あのPDCAのことです。
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「P」はプランで、計画。
「D」はdo、することで、実行。
「C」 はチェック、これは上司や周囲への報告、また客観的に見た時の評価。
「A」はアクション、実行や改善といった具体的な行動
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を、それぞれ表しています。
そしてその中では、日本人の神社での立ち振る舞いや参拝する際の心がまえなどを、このPDCAに置き換えて表現していました。
具体的には「P」は目標への「祈り」や「誓い」、「D」が自らの「努力」と「実践」、「C」は神様への「相談」と「報告」、そして「A」は「改善」と「実行」による最終的な成果、というサイクルです。
これを見たとき、深く納得するものがありました。
なぜなら、日本の神道をはじめ、神社に参拝することの意義やお祭りが行われていることの意味も、いわばこの好循環のサイクルのシステムの流れの中に、重要なエッセンスがほぼ全て詰まっているからです。
古神道の極意がここにある、といってもよいでしょう。
たとえば代表的な例が、五穀豊穣を祈念して行われるお祭り。
春夏秋冬に行われるお祭りの意味については、以前こちらの記事でご紹介させていただいたように、春のお祭りでは実り豊かな収穫の時を願って、一年のサイクルの始まりの時に祈り、言霊の祝詞で誓いを立て、皆で予祝をします。
そして秋になると、無事、五穀豊穣がもたらされたことに感謝をするために、またお祭りを行うのです。
現実創造のためには、一部が欠けてもNG?
このように考えてみると、神社のPDCAサイクルは祈りが届けられ、願いが叶えられるまでの現実創造の一連の流れを表すものーーつまり、とても理にかなったものだと言えるのではないでしょうか。
ただ、実際にこのサイクルができているかというと、おそらく「できていない」と答える方も多いのではないかと思います。
しかし、それは無理もありません。
なぜなら、「神社は何かお願いをするためにある場所」と考えている人もまだまだ多いからです。
以前もご紹介させていただいたように、神社は本来、日々の暮らしや命の営み、無事過ごせていることに対して、「いつも守っていただき、ありがとございます」と、感謝の気持ちを伝える。また、祈りが叶った時には、お礼に伺うために存在している場所です。
そしてこれを神社のPDCAに当てはめてみると、また新しく見えてくることがあるでしょう。
たとえばそれは、まず始めの段階で「私はこうします」「〇〇を通して社会に貢献します」と誓いを立てるということ。私欲から出たお願いというよりは、自らの確固たる意志のもとに行動し、やり遂げようとしていることを宣言することが大事である、ということです。
それとともに、祈りが形になった時に、神様に感謝の気持ちを伝えるために、必ずお礼参りに伺うということも大切でしょう。
神様にお願いしたり、これからやると決意したことを宣言したはいいけれど、すっかり忘れて、後はほったらかし。
このように、肝心のお礼まいり、いわばPDCAの「C」の部分をすっかり忘れてしまっている方が多いのではないでしょうか。
また、「困った時の神頼み」で、たとえば予期せぬことが起こったとき、自然災害やパンデミックのような人智の及ばない出来事が起こったときなどは、ここぞとばかりに神社にお参りにいく方も多いでしょう。
しかし平穏無事な日常に戻った途端に、窮地に追い込まれて困り果てていたことや、お願いしたことすら忘れてしまう、ということもあると思います。
しかしそれでは、本来あるべき流れではありません。
なぜなら、現実創造が起こるはずのPDCAサイクルから外れてしまうからです。
神様にご挨拶に伺うこと、そして祈りや誓いを立てたら実践すること、そしてその結果の成果のご報告と感謝にまた神社にお参りにいくこと。
これらは、どれかひとつ欠けても成り立たず、すべてが一つのワンセットなのです。
祓いのゼロリセットから生まれる、新たな自分
そしてこのことは、たとえば一年の中でも重要な節目と言われている年に二回の大祓で、神社に参拝されるときも同様です。
たとえば夏越しの大祓では、一年の前半の罪や穢れをきれいに祓い清める意味が込められていますが、この時もなんとなく参拝に行くのではなく、半年間、嬉しかったことや楽しかったことなど、できるだけ多く振り返って、心からの感謝の気持ちを伝えてみる。
あるいは、今自分がモヤモヤしていること、気がかりなことに対して、この思いを祓って清めようと決意し、意志を立て宣言をする「=意宣る(祈る)」のがよいでしょう。
そうして、大祓によって真っさらな自分になれたとき、ゼロになった清らかな自分のもとに、また新しく良いことがもたらされるような心構えと準備が整います。
そう。これが「ゼロリセット」です。
ちなみに、大祓の起源の「みそぎ祓い」には、「罪や穢れを祓う」という意味とともに、「水を満たす」という意味が含まれていると言われています。
しかしこれは、そのルーツを辿っていけば自ずと見えてくること。
「みそぎ祓い」とは、『古事記』に登場する重要なシーンで、イザナギから三貴子が生まれる前に行った重要な儀式として伝えられていることからも、その言葉に秘められた二重性の意味を汲み取ることができるでしょう。
つまり、イザナギが罪穢れを清めるためにみそぎ祓いを行ったからこそ新しい命、三貴子が誕生することになるのです。すなわち、死と再生の物語です。
また、「身を削ぐ」は、「霊(み)を注ぐ」という意味も含まれている、といいます。
このように『古事記』はじめ、日本の古神道では、始まりと終わりがセットになっていて、大きなサイクルの中の流れの中に命が生まれてくる、これが自然の理であると伝えられています。
ぜひ、これを機に、神社に参拝するときのあり方を見つめ直してみてはいかがでしょうか。
そして今回ご紹介させていただいたPDCAサイクルを、神様や自然との関わり方に当てはめて、しっかり節目節目で神社を訪れたり、大いなる存在との関わりを思い出してみることで、未来は自然と良い方向へと向かっていくことでしょう。
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いかがでしたでしょうか。
一時期
(今でも続いていると思いますが)
パワースポット巡りや、御朱印を集めた
りするブームもあって、
神社のような気のよい、エネルギーの高
い有名な場所に出かけることで、自分も
そのご利益にあやかれる、という風潮も
ありました。
ただ、今回の記事でも触れられていた
ように
たとえ神社にお参りに行ったとしても、
良い気をもらいたい
より高いエネルギーを得たい!
と一方的に神様に与えてもらうことばか
りを考えているだけでは、物事は良い形
に成らないのだろうと思うのです。
(これは人と人との間柄でも同じですね)
そこで大事になるのは、やはり自らの明
確な意志をもった上で、参拝するという
こと。
これはもちろん、大祓を行う時も同様で
す。
そしていざお力を借りてかたちに
なったら、必ずしっかりお礼参りを
する。
感謝の気持ちを伝えることは、改めて
とても大事なことだと感じました。
この好循環のサイクルを祈り(意宣り)
にも当てはめていくことが、神様のよう
な目に見えない大きな存在と調和して
生きる姿なのでしょうね。
ぜひ日々の生活の中で、心がけていきましょう。
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