新年には皆さん、神社に行って「お祈り」をすると思います。
「お金持ちになりたい!」「あの人と結ばれたい!」「受験に合格したい!」etc…。
神社の絵馬を眺めてみても、実に色々な願望があるものだなぁと思います。
でも、必死のお願い事がなかなか叶わない場合、そもそもの大前提として、心構えを変える必要があります。
では一体、何を変えたら良いのでしょうか?
今回は、新年に神社に行く際に、ぜひ知っておきたい心構えについてお伝えしたいと思います。
まず、そもそも論として、他力本願では願いは叶いません。
自分は何も努力をしないのに、神様が助けてくれるだろう。
そんな他力本願の姿勢で「神様、助けて!お願いします!」と懇願しても、そんなに都合の良い話はないからです。
外側にいる神様に、非力な自分を助けてもらおうと思っても、そうはいきません...。
願いは、自分が叶えるものであって、神様が叶えてくれるものではありません。
自分の中にあるイメージが言霊にのり、言葉にしたことを行動に移すことによって質量を持った現実になっていきます。
つまり、願いを叶える主体は自分なのであって、外側にいる神様ではないのです。
そもそも、日本古来の神様とは、森羅万象の創造と破壊の原理の様々な作用のことをいいます。
天地創造の原理、山や岩、川、水、雨、動植物など、人智を超えた自然原理が古来「神様」とされ、そのように呼ばれてきたのです。
知恵を持った人は、その自然現象すらも収める技術を持ち、人の社会を形成してきました。
人と自然がかけ離れ過ぎた現代の暮らしの中では忘れがちになってしまいますが、人も自然の原理の一部。私たちも神の作用を体現している存在といえるでしょう。
神社に足を運ぶことで、私たちはまたその原理の中に身を置き、自らも「神の社」であることを思い出すのが、神社の本来の姿であり、機能だったのではないでしょうか。
神社とは、人の意識を整え、そうした自然の原理を思い出すための装置であるとも言えます。だからこそ人は、神社に行く時、自然と手を合わせたくなるのです。
人間中心に形成された都市の中では、ともすると人間中心の原理の中にとすっかりとらわれてしまうため、私たちは本来の自らの力をすっかり忘れてしまうように思います。
そして、何か特別な願い事があったり、どうしても叶えたい夢がある時など、まるでイベントのように神社に行ってお祈りの真似事をしたとしても、そのお願い事が叶うことは少ないと思います。
なぜなら神社は、自らの願いを叶える場所ではなく、本来、自らを整え、神の社である神聖な自分に気づく場所であるからです。
自らが整い、神の社として創造の主体としての在り方を取り戻す時に初めて、自分の中にあるイメージが現実化していきます。
つまり、自らのお願い事を神様に叶えてもらうために神社で祈るのではない、ということです。
神社の鳥居を潜り、穢れを水で浄め、そして静かに手を合わせる時、私たちは小さく非力な自分ではなく、創造の主体としての在り方を取り戻すことになるでしょう。
そして、自らの尊さや素晴らしさを再認識することによって自己肯定感が芽生えてきます。
自己否定の感情が残っていると、どんなに言葉ではポジティブなことを言っても、潜在的なイメージがネガティブなままなのでネガティブな現実が現れてしまいます。
それが、願いが叶わない原因の一つです。言霊を放つ時、それを裏づける心が大切なのです。
神前でお祈りをするとき、まず、今ここに在ることへの感謝と共に、自らに誓いを立てる。
そうして自らに誓うことで、それを自分で現実にしていく。その創造の力が自らにあることが確信できて、初めて、心願成就が起こるのです。
新年のお祈りは、まず、この心がけで臨んでみてください。
きっと現実が変わってくるはずです。
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いかがでしたでしょうか。
essenceではこれまでに、
神社がどういう場所であるのか、
また、神社を参拝する時にどのような
心構えで臨んだら良いのか?
ということを
数回に分けてお伝えしてきましたが、
それでも
「神社は自分の願いを神様に聞き届けて
もらう場所」
と思う方はまだたくさんいらっしゃる
と思います。
しかし、自分が「神の社」だと気づき、
そうした姿勢で神社参拝に臨む時、何か
スイッチが切り替わったようにパッと
視界がひらける瞬間があるはずです!
ぜひ今回の内容を心のどこかに留めて
いただき、新たな気持ちで神社を参拝して
いただけたらと思います^^
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